【インド】「ダリット(不可触民)が馬に乗るなんて生意気だ」カースト最下層の若い農夫、撲殺される

投稿者: | 10月 22, 2019
#2名無しは
>>951
ヘンリエッタには南斗六聖でも勝てるかぁゃιぃ。
#3名無しは
これがインドの現実
インドは遠くから眺めて初めて神秘の国なのです
#4名無しは
>>952
テレサ「自国内の貧困問題から最初に対応しなさい。」(要約)
#5名無しは
クシャトリヤは今なんの仕事してんの
#6名無しは
姦国
親日だふざけるなと親日老人が撲殺される
http://zapzapjp.com/archives/32901866.html
#7名無しは
純然たる差別なんだよなあ…
#8名無しは
>>943
あるよな
同和枠とかの逆差別が笑
#9名無しは
カーストが公式に無くなったと宣言したくせに、いまだに根強く残っているインド。まあ、日本も同じだけどな。
#10名無しは
カーストとかいうクソ制度あるわりに人口多いよな
#11名無しは
>>961
人口多いのはもともと多くそして途上国だから程度で出生率はぐんぐん落ちてるよ
#12名無しは
>>803
数10年じゃなくて、数1000年経って形骸化してるって言ってるんだが
#13名無しは
非人は刑罰等で落ちる身分、穢多は人種差別的

対馬の被差別民
http://imano.comm.fukuoka-u.ac.jp/shiryoken/meeting/20140628nakamura.pdf
対馬藩主宗家の史料には、近世前期から「乞食」「禅門」「非人」等の文言はみられるが、 近世後期まで対馬島内に「穢多」「皮(革)多」は現出しない。

(1)非人、乞食、禅門及び奴婢
奴や婢に処された者は「奴婢之号」を付せられて「奴号之者」となり、それによって「奴号之身分」に編入されたが、その身分は不変ではなく、年限が満了すれば自由になった。
「永代奴」ですらも恩赦など、時と場合によっては解放されることがあった。

(2)穢多
・対馬本島には、寛政元年(1789)まで「穢多」「皮(革)多」などと呼ばれる被差別民は存在せず、 皮革生産も行われなかった。皮革はもっぱら日本本土や朝鮮から輸入し、履物類等の皮革製 品も島外から購入した。

・18世紀以降、殖産興業
その一環として飛び地の肥前国田代から皮革業者である穢多身分の人びとを呼び寄せ、皮革 および履物類の国産化を図った。

・寛政元年、肥前田代から穢多が対馬に来住。田舎下り、すなわち在郷を巡り斃牛馬を回収するための往来札を郡奉行所に申請し、9 月以降には作業開始。

・「田代より来居候穢多共、近来平人ニ馴合不埒ニ付」心得違いをせぬよう、識別のため提札 のみならず笠にも常に目印をつけるよう命じたが、「男女之出合も猥ニ有之」ような事態が出来し、藩庁は困惑。
島民に対しては穢多との交際を厳禁、もし禁を犯せば「直ニ穢多入可 申付」と威嚇したが、貫徹しなかった。
※ 穢多と交際し唯心軒支配とされた百姓きちの場合、「言語道断」として入牢させた上、「一日さらし、乞食入、唯心軒配下ニ申付」←婢よりもはるかに厳しい処断という認識

・文化 10 年(1813)穢多増員
肥前田代から穢多身分 5 竈が家族とともに対馬に移住。
・前回の轍を踏まぬよう、島民には穢多身分について詳細に説明を加え、平人との差違を強調、交際等を厳しく取り締まった。

#14名無しは
>>964
天領と個別の藩では法制度は違う。
天領では両方被差別階級。
#15名無しは
>>964
これは、すごく興味深い調査だ。

対馬には非人、乞食等の下層民がいた。乞食などは志願してなることもできた。
犯罪者は奴婢、再犯、重罪は、「唯心軒」という寺配下の謎の身分に。但し、志願して「唯心軒入り」する者もいた。
穢多以外は、期間が決まっていたり、恩赦等もあった。

穢多は非人等とは全く別。穢多と交わることは厳禁で、交わったら、平民の方が重く処罰された(再犯者並以上)。穢多が処罰されたかは不明。

対馬という朝鮮半島とも縁が深い藩には、穢多はいなかったし、領民は穢多差別も知らなかった。
皮革生産のため、熊本の対馬藩飛地から穢多を連れてきたら、農民の娘が穢多とせっくすした。娘は最も厳しい類の処罰を受けた。

#16名無しは
今朝の海外ニュースによれば、憲法ではカースト差別を禁止してるのに、
ヘイトクライムに関する最高裁判決で一部覆ったことから、
デモが起きて暴徒化してるんだと
#17名無しは
>>845
生物としての血統差別がDNAに刻まれてるのは
当然だろ(笑)
その動物的な資質を抑制する道徳観として
宗教が存在するわけで。
豊かさを手に入れたり、国家を形成する上で、その差別を容認する道徳観の根底に輪廻思想があるとみるべきで。日本でも日頃の行いが悪いからや前世の行いが悪いというか表現があるのと同じで。
#18名無しは
インド発展の足かせやね
#19名無しは
>>968
そのような非合理思想を打ち破る為に啓蒙思想(&近代法その他社会科学や自然科学の知見)
はあるわけで。
#20名無しは
>>964
穢多がいなかったので九州から穢多を連れてきた対馬でも、穢多は血の差別とされたことが確認できた。
藩が、『穢多と交わってはいけない』と領民に教育した。

外見上、穢多が平民とつかなくなってきた(元来は見ただけで区別がついたということ。服装というより外見か?)ので、髪型を変えさせた。

元文元年(1736)6 月、田代領の穢多身分の身形が百姓に見まがうほどよくなり、外見上の区別がつかないのを憂慮した代官所は、穢多身分の男性の髪型を変えるよう令達。
すなわち月代を耳下まで剃りさげる、もしくは斬切りにすべし。

#21名無しは
穢多は、期間限定の他の被差別民とは全く別。
穢多は生まれてからずっと穢多だし、穢多の子は穢多。
穢多とは交わってはならない。

穢多は人種差別だとしか言いようがない。
インドと同じように、先住民(古い倭人か縄文人かは不明)差別だろう。

#22名無しは
>>970
非合理って訳でもないんだよ
・悪いことをすれば来世で酷い目に遭うから、悪いことをしてはいけませんよ
・善いことをすれば来世で幸せになれますよ(もしくは極楽に行けますよ)
というのも啓蒙だからな
まあその教え方のせいで、前世で余程の悪行を行ったからダリットの家なんかに生まれたんだろうって思われてしまうわけだが

引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1522677946/

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