“灘史上最高の秀才”“オウム幹部”…2年間だけあった東大理三&京大医学部W合格「神童」たちの行方 | 文春オンライン

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いまでは考えられないことだが、第1志望は東京大、スベリ止めに京都大という大学選びができた年があった。1987、88年、国立大学の試験日がA日程=2月下旬、B日程=3月上旬に分けられる方式がとられ、東京大がB、京都大がAの日程で試験を行なったのである。AB両日程の入学手続きが同日なので、京都大に合格し入学する権利を持ちながら、東京大の合格日まで待つことができる、という方式だ。 これによって、1987年、東京大、京都大の両方に合格した受験生が約1800人おり、このうち8割以上の1500人は東京大に進んだと、予備校関係者は分析していた。いちばん悲惨だったのが、京都大理学部である。同学部の合格者465人のうち、東京大(理一、理二、理三)合格者が381人もいた。京都大に入学手続きしたのは230人であり、差し引き235人つまり、学部合格者の半数以上にソデにされたことになる。

コメント一覧


aya_momo2020/11/14
「灘から理三に進んだ、上昌広さんに話を聞いてみた」ひょっとして、受験のペーパーテストに受かる能力と、分別ある正しいことが言えるかとか人間としての賢さとかは全く別なんじゃね?

Outfielder2020/11/14
みんな理三に行くの、なんとかならないかね。

2020/11/14
みんな理三に行くの、なんとかならないかね。

2020/11/14
「灘から理三に進んだ、上昌広さんに話を聞いてみた」ひょっとして、受験のペーパーテストに受かる能力と、分別ある正しいことが言えるかとか人間としての賢さとかは全く別なんじゃね?