大きな枠組みに目を向けさせないようにする – 紙屋研究所

教育

なぜ「自分のできること」の範囲に限定するのか 娘(中1)が「環境新聞」というのを学校の宿題で作っていて、横から眺めていた。 温暖化について書いている。 「結論は自分ができることを書かないといけないんだ」と言って、ムダな電気を消すとかそういうことを書いていた。 その後授業参観で、クラスの壁に貼られた、クラスの生徒たちがそれぞれつくった「新聞」を見る機会があったが、温暖化だけでなく、ごみの減量とか、プラスチックごみの縮減とか、さまざまな環境問題についてまさに「自分ができること」で締めくくられていた。例外なく全て。徹底した指示・指導なのであろう。 なぜ「自分のできること」の範囲に限定するのだろうか。どうして「2030年に8%という低すぎる福岡市の再生可能エネルギー普及率の戦略を引き上げる」とか「プラスチック全般に拡大生産者責任を徹底する」とか、そういう「大きな話」を書いてはいけないのだろうか。*

コメント一覧


tkmkg8m2020/11/13
これ差別問題でもそうで「差別はあなたの心のなかに」と言って個人の心がけの問題に矮小化しちゃうと、差別を生み出してる大きな社会的・経済的構造を見逃すことになっちゃうのよね、という話。

kurokawada2020/11/13
幹部の判断(の不在も含む)が不問に付されて、現場の努力でなんとかしろと言われる旧日本軍の体質とも言える。

skasuga2020/11/13
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」から少しも変わってない。

Midas2020/11/13
例の「自助・共助・公助」とも通じる話。自分でできることをやり尽くしてからでないと政治的発言をしてはいけない、的な発想。行き着く先は制限選挙制か。

Lumin2020/11/13
震えるほどその通りだと思った。特に子どもらが知らずそのような教育を繰り返されて、大きな枠組みに疑問を持たなかったり、変える術を知らずに育つと思うと恐ろしい。

zakusun2020/11/13
“社会の大きな枠組みに目を向けさせないようにすることが、実は立派なイデオロギー教育である” 真っ当な指摘だね。日本人は教育により骨抜きにされてる。

tarsgb2020/11/13
それな>必要なしくみの一つは、自然を汚染・破壊したり、自然の回復力を損ねる活動を行なった人・企業に対して、自然を修復するために必要な費用や、被害を受けた人々への補償の費用を支払わせることです。

zorio2020/11/13
儒教(士大夫)的世界観がいまだに根強いのはあるかと思います。大原則として既存秩序を変えず、修身斉家治国(昔の中国の国は今の日本の県や市に相当)と順に徳化していく生き物。身の回りのカイゼン好きを導きます